アイツと、読書と、音楽と

ひと知れず されど誇らかに書け

「私のことならほっといて」田中兆子

子供の頃から、なるべく心に蓋をして日々を過ごしている。感情的になった後のことを考える可愛げのない子がそのまま大きくなってしまった。

久しぶりにその蓋に隙間をあけるような出来事があり、隙間を大きく一度あけてもらうように自分から会いに行った人がいる。

会っている時間は楽しく、その後ひとりになった時にまたそっと蓋をきつくしめておく。つくづく私は生きるのが下手だなと思う。

 

田中兆子の短編集には、生きるのが下手な人達が多く住んでいる。不倫された女、嘘をつく父親、自分の匂いに悩むキャリアウーマン。地球外生物に飼われている若い女性。

その中でも死んだ夫の片脚がベッドの上に残された「片脚」という作品は秀逸。夫婦が暮らす村では、どうやら夫が死んだ時には火葬屋の「好意」で脚が残される。本来なら、その根元にあったはずのものも含めて。主人公である妻に遺されたのは純粋な片脚のみ。その片脚は、触ると赤みを増すし、放っておくと萎びてくる。この脚を処分するべく妻は脚を抱いて山を歩き続ける。妻はこの脚を捨てることができるだろうか。

誰かと一緒にいても、いつかはひとりになるだろう。その諦念が私につきまとっている。夫がどういう人間であろうが、それは関係ない。夫にやさしくされると居心地が悪く、夫を裏切ることで人心地がついた。夫はいつまでたっても懐かない、私という野良犬を飼い続けていたのだろう。

この文章を読み、この作家は信頼できると私は勝手に安心した。過去2011年「女による女のためのR-18文学賞」大賞を「べしみ」で受賞。

性と生と死を躊躇のない文体で描く。