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ひと知れず されど誇らかに書け

REBORN ART FESTIVAL 2019 「転がる、詩」

Reborn-Art Festival 2019

この日の石巻は暑かった。

宮城もご多分に漏れず、酷暑をむかえていた。

 

石巻までは仙石線を使った。

一人で電車に乗って石巻に行くのは初めてだ。

東日本大震災の前の年、家族で石巻に遊びに行った。

そして震災の年のGW、妹夫婦に車に乗せてもらい再び石巻に行った。

私が知っていた石巻は、そこにはなかった。

×印のついた、不自然に二重三重に重なりあう車。

見上げるほどの場所にはっきりと記された水の跡。

そして方向を変えると、そこは見渡す限りの無。

 

Reborn Art Fesのオープニングセレモニーとしてのライブに宮本浩次が出ると聞き、日程がお盆休みの一週間前というスケジュールを見て悩みに悩んだ。

しかしチケットが取れた時点で、もう一度、今度は自分一人で石巻に行ってみよう、そう思った。

 

仙石線は座れないほど混雑していた。

ミスチルのなんらかに身を包んだ人の多いこと。さすがだし、そりゃそうだ。

しかも話す言葉の感じから、遠方から来ている人が多いようだ。

エレカシの祝祭象Tシャツに包まれた私は、緊張しながら電車に揺られた。

電車から見る風景は穏やかな顔をしている。新しく建てられた家々、静かな海。

しかしそこに別の世界があったことも知っている。

 

石巻の駅は、石ノ森章太郎が産み出した子供たちであふれていた。

駅前も整備され、賑わいを感じた。道の途中途中にあらわれる009たちに見守られながら、急な坂をのぼった。

石巻総合体育館という場所は、これは宮城県の沿岸部の大きな施設の多くがそれにあてはまるのだが、震災の時の遺体安置所となった場所だ。

だから、この場所でのイベントには、ひとつ意味が加わる。それはこの場所を知った上で参加する人にとっての意味。この坂をあの3月にのぼった人たちのことを考えるということ。

 

会場周辺には、暑い中多くの人たちが道案内、会場案内として立っていた。

誰もが非常に親切であり、丁寧な対応の人ばかりだった。

会場内は、本当にいわゆる普通の体育館なので、ありったけの大型扇風機をフル稼働して対応をしている。扇風機から送られてくる風も熱い。自然と会場中の人がパタパタとうちわや扇子であおぐ。その姿が、2階から見るとまるで光るさざなみのよう。

とても不思議な光景だった。

大事なことなので、先に書いておくと、正直本当に普通の体育館なので、音に対してはあまり期待をしていなかった。しかし結果的に、これほど良い音を聴かせてくれるために、どれだけの人のご尽力があったのか想像して胸がぎゅーっとなるほど素晴らしい音を聴かせてもらえた。

 

小林武史氏のあいさつの際、今日のイベントになくてはならないお二人を、と言った瞬間、会場が盛り上がった。その盛り上がり具合に慌てた小林氏。なぜなら登場したのは石巻市長と宮城県知事だったから。フェスのTシャツを着てのあいさつとなった。小林氏のこうした活動というのは、県にとっても市にとっても、とても重要性の高いものだということがわかる。

 

今日のオープニングライブには「転がる、詩」というタイトルがつけられている。

歌詞がバックに映し出されながらその前で歌手が歌う。まさに歌詞が主役のライブ。

(最後に明かされたのは、アーティスティックに映し出されていた歌詞とバックの映像は、リアルタイムで作られたものだったということ。まさに、これも作品の一つだった。)

 

本日の出演者

櫻井和寿/ 宮本浩次/ Salyu/ 青葉市子

keyboards:小林武史/ guitar:名越由貴夫/ bass:TOKIE

drums:椎野恭一/ cello:四家卯大/ violin:沖祥子

 

さて、今回も先に述べておくが、贔屓にしている宮本浩次中心に感想を書いておきたい。

 

私がここに来ることを決めたもう一つの大きな理由は、小林武史宮本浩次が同じステージに立つということ。間違いなくあの曲をやるはずだ、と。多少の無理をしてでも、これは行かねばならない、と。

 

青葉市子、Salyuの順で、ステージは進んでいった。

二人とも生で聴くのは初めて。確かにそれぞれがアートフェスにふさわしい歌姫。

初聴きの歌も、歌詞を見ながらなので馴染みやすい。暑さでぼーっとすることすら許してくれる歌声(勝手な解釈)に包まれ、心はすっかりリラックス。

 

「この人は熱い。いや熱いって暑いじゃないけど、なおさら暑くなる。」的な紹介(?)ですでに会場全員、次に誰が出てくるか、察し。

「孤独な旅人」のイントロが流れた瞬間から、全員が一気に立ち上がり、手拍子が始まる。

仙石線で感じたアウェイ感がゼロになった瞬間。出てくればみんなが喜ぶ、そういう不思議な力を持った人だ、宮本浩次は。

この曲は通常サビの部分のみ手拍子がおこる。しかしこの日は丸々一曲手拍子が鳴りやまず。

そんな会場の熱烈歓迎の空気をもちろん宮本さんも感じたのであろう。喜びがサービス精神と優しさに転化した瞬間を見た。

「曲の途中でもいいから、具合が悪くなった人は、広い場所に出て涼しくして!涼しくならないかもしれないけど」的なお心遣いの言葉あり。

歌詞が縦書きであったことも記しておこう。

「風に吹かれて」のサビのお手振りもみずから率先して、大きく大きく振っていた。

 

アルバムの『ライフ』から、何かやるかな、いや絶対やるでしょと楽しみにしていたら、一番聴きたかった「普通の日々」で涙腺決壊。

もちろん曲の前に、ニューヨークへ行ったこと、911の話などが出て「すみません、その頃石巻のいの字も浮かびませんでした」とあまりにも正直すぎる宮本の言葉に、会場の温度がまた1度上がる。

(何か言うたびに1度ずつ上がる現象をおれは何にたとえよう)

私にとって、初、生の普通の日々。CDで聴いていただけで泣けてしょうがなかったものを生で聴く幸せよ。

そしてしっとりと「翳りゆく部屋」へ。

 

さあ、そしてついにその瞬間が!待ってたよー、小林武史の伴奏で、「冬の花」。

いったい全体どういう理由でソロ曲第一弾がこれじゃないのか、その理由を偉い人に詰め寄って聞きたいほどに、私はこの曲を推している。推しまくっている私が、大袈裟ではなくもう何十回、何百回聴き続けている私が、生で聴いて、想像の斜め上すぎて、その角度に背骨が折れそうになった。

エモっ!そして超ロック!

ここまで大輪の鮮やかな花であったか、冬の花は。

曲の始まりで会場がざわめき、1番の終わりでまず拍手がおきる。すごい反応だった。

映し出される歌詞の出具合も強烈だったけれど、そのくらいしないとバランスがとれないほどの宮本の歌の力。

「胸には涙、顔には笑顔で、今日も私たちは出かける」

そう。出かけるのは「私」ではなく「私たち」。宮本さんの優しさを強く感じた。

 

冬の花の次に「昇る太陽」を歌ったのには度肝をぬかれた。

激烈なる冬の花の次に、あの、ライブで歌うことを想定して作っていないと本人が断言した、信じられないキーの高さの、あの曲を!

これがまた、凄まじくよかった。「音楽の日」での歌唱を見て、今から育つんだ、この曲は、となんとなく自分の背中をたたきながら、よしよしと言い聞かせていたことが実は現実となったというか、想像より早めに立派に育っていた。産後の肥立ちがよい曲だ。

めっちゃ昇ってたな、太陽。実にかっこよかった。非常にライブ映えする曲だ。

 

新しいソロ曲も無事に歌い終わり、非常にいいムードで「あなたのやさしさを…」。

ステージっていっても体育館のそれなので、やんちゃ盛りの53歳、まあ簡単に降りられるわけだ。

降りたねー、彼は。左へ右へ歩きながら歌ったねー。とても素敵なあたたかい光景だった。

 

「今宵の月のように」そして「悲しみの果て」。

これはいわゆる普通の音楽フェスではない。

何を歌うかということを、とことん考えてのセットリストだったと思う。今思い返しても、この日この場において、最高のセトリ。

人生は旅。

 

ソロでエレカシの歌を歌うことについて、いろいろな意見もあるらしいがこの日のラスト2曲を実際目で、耳で感じたら、もしかして新たな思いが浮かんでくるかもしれない。

特に悲しみの果てのラスト、「素晴らしい日々を送っていこうぜ」と告げるための、その言葉を伝えるためのラストのフレーズの繰り返しのアレンジ、その歌詞の力には鳥肌が立った。もう何度も生で聴いている曲にも関わらず。

 

最後のミスチル櫻井さんに関しては、私は完全なる門外漢なので、「実に良かった!」ということだけお伝えしたい。

さいたまスーパーアリーナのドドドーン以来の生櫻井さん。

作り上げるステージの世界観はさすが。MCもその世界を微塵も壊すことがなく、人を惹きつけるものがあるなぁと感心して拝見させていただいた。

 

ということで、このライブは10月にWOWOWで放映決定らしいので、ご覧になれる方はぜひ。予告の無料放送の約1分の映像、あの日の冬の花の凄まじさがもうあんなに滲み出ているのだから。

 

そして、石巻にもぜひ足を運んでみて下さい。まずは石ノ森萬画館からでも。

石ノ森萬画館

我がふるさと、宮城県で、こんなにも素晴らしいライブを観ることができて嬉しかった。

 

REBORN ART FESTIVAL 2019

「転がる、詩」宮本浩次ソロ セットリスト

孤独な旅人

風に吹かれて

普通の日々

翳りゆく部屋

冬の花

昇る太陽

あなたのやさしさを何にたとえよう

今宵の月のように

悲しみの果て